劇場版 境界の彼方 I'LL BE HERE

感想です。ネタバレしてます。



未来篇が公開されてからのこの1ヶ月間、狂ったように見続けてしまった。

アニメも最初から見直して、
原作小説は買いっぱなしで積ん読していたけれど読み始めて、
過去篇も1度は劇場で見たけどBDで見直して、
未来篇は毎週末映画館に足を運んで観に行った。

ついでに橿原神宮前まで聖地巡礼もした。
ちなみに大和西大寺は巡礼するまでもなく生活圏内です。

なんかそれくらいどっぷりとはまってしまった。

FF13ホープきゅんのように特別好きなキャラクターがいるわけではなく、
ただストーリーとかキャラクター同士の関係とか作品の色合いとかが好きで。
ああでも博臣かっこいいよ博臣。


過去篇はアニメの総集編だったのですが、
切ないシーンが盛り込まれていて泣いてしまったし、
未来篇は過去篇以上に泣いてしまいました。
秋人と栗山さんのハッピーエンドで終わって良かった!

未来篇を初めて観たときは、
秋人が栗山さんのことを想って避けるシーンや、秋人が栗山さんを懐かしそうな目で眺めるシーンで涙が出てしまったけれど、
何回か観るうちに涙が出るシーンが変わってきて、
栗山さんと秋人によるプロローグと、エンディング間近の秋人の「君がいるから生きたいと思ってる」という台詞で涙が出るようになってきました。
未来篇のテーマも、そこにあるんだろうな、と思います。


過去篇と未来篇がセットになって公開されただけあって、
過去篇と未来篇で対比になっているようなところもあるみたいです。

過去篇の最後の秋人の台詞が「眼鏡をかけた栗山さんが大好きです」
未来篇の最後の秋人の台詞が「眼鏡をかけていない栗山さんも好きだ」
になっているのに気付いたときは感動しましたね(何


Twitterで「アニメで築かれていた二人の関係をヒロインの記憶喪失でぶち壊してまた構築し直していたから、やる意味なんてあったのか」という感想を見かけたのだけれど、
アニメだと栗山さんは自分が死ぬことで秋人を救おうとしていたのに対して、
映画では秋人と生きて行こうとしていたので、
その変化を描くために意味はあるんじゃないか。
…というのが私の考えです。



しかし、映画で新たな謎も生まれていて、
「え、この伏線もう回収できないじゃん…」てなってるところがいくつか。

神原弥生は何故人間の世界と妖夢の世界の門番をしているのか。そもそも何者なのか。
栗山さんの母親は何故死んだのか。
彩華さんと泉さんの手合わせっていつの話よ。
とか。

原作小説はまだ続いているから、続きは原作で、ってことなのかな…。